第5章 RISC-V ― “言葉”を開いた
第4章の終わりに、こんな問いを置きました。「もし、チップの共通の言葉(ISA)が、誰の持ち物でもなく、通行料もいらず、世界中の誰もが自由に使えるものだったら?」。この章は、その問いに本当に答えてしまった主役――RISC-V(リスク・ファイブ)の物語です。そして、ここには絶対に外せない注意書きがあります。「無料」と「オープン」は、同じではない、という話です。順番に行きましょう。
5.1 始まりは、大学の「夏休みの研究」だった
RISC-Vは、大企業の野望から生まれたのではありません。出発点は、2010年、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校。クレステ・アサノヴィッチ教授と、二人の大学院生(ユンサップ・リー、アンドリュー・ウォーターマン)が、夏のあいだの研究プロジェクトのために、自由に使えるCPUの“ひな型”を必要としていました。RISCの生みの親として知られるデビッド・パターソンも加わります。
彼らは最初、既存のx86やARMを使おうとしました。ところが――第4章で見たとおり――それらの言葉は持ち物です。たとえ契約できたとしても、自由に作り変えられない。研究成果を、世界の仲間と分かち合えない。研究には、それでは困る。「使える自由な言葉が、どこにもない。なら、自分たちで作ってしまおう」――こうして、ひと夏の手すさびのつもりで、新しいISAが生まれました。
5.2 なぜ「ファイブ(V)」なのか
名前の「V」は、ローマ数字の5です。じつはバークレー校では、1981年からRISC(リスク)と名のつくCPU研究が代々続いており、その5代目(第5世代)にあたる、という意味で「RISC-V」と名づけられました。だから読み方も「リスク・ブイ」ではなく「リスク・ファイブ」。歴史ある研究の系譜の、最新作というわけです。
※豆知識。 初代RISC-IとIIは1981年。その後の世代は別名で呼ばれていたものを、あとから「III・IV」と数え直しています。RISC-Vは、その正統な5代目。新参者に見えて、じつは40年以上の研究の積み重ねの上に立っているのです。
💡 では「RISC-Ⅵ(リスク・シックス)」は、いつ出るの?
当然の疑問ですよね。でも答えは――RISC-Ⅵは出ません。 少なくとも「次の番号だから出る」というものではないのです。理由は、いま見た名前の由来にあります。
① 「V」はバージョン番号ではなく、固有名。 Windowsの10→11のように番号で世代交代する名前ではありません。「RISC-V」でひとつのブランド名。iPhoneが何代進んでも“iPhone”であり続けるのと同じで、中身が進化しても名前は「RISC-V」のままです。
② RISC-Vは“中で”進化する。 RISC-Vはモジュール式で、新しい拡張(命令の追加技)やプロファイル(RVA23など)を「RISC-Vという同じ枠の中で」足していく設計です。名前を6に変えなくても、中身はどんどん育つ。「名前は据え置き、中身を拡張」が、RISC-Vの思想そのものなのです。
だから一番誠実な答えはこうです――「6を待つ必要はありません。あなたが触るRISC-Vが、中身を拡張しながら、ずっとRISC-Vのまま進化していきます」。
5.3 何が画期的だったのか ― 通行料を、ゼロにした
RISC-Vの何がそんなに事件だったのか。ひとことで言えば、「共通の言葉そのものを、誰にでも無償で開放した」ことです。第4章の「通行料のかかる橋」を思い出してください。RISC-Vは、その橋の通行料を、ゼロにした。誰でも、許諾もロイヤリティ(使用料)もなしに、この言葉を使ってチップを設計できる。大企業も、町工場も、大学生も、世界のどこの誰でも、同じ条件で。
しかもRISC-Vは、過去のしがらみを背負わない“まっさら”な設計で、必要な機能だけを選んで足せるモジュール式。だから、ごく小さなマイコンから、データセンターの大型チップまで、同じ言葉で貫ける。「自由で、身軽で、なんにでも化ける」――この三拍子が、世界中の心をつかみました。
5.4 ここが超重要 ― 「無料」と「オープン」は違う
さて、いちばん誤解されやすい、けれど絶対に外せないポイントです。「RISC-Vは無料」と聞くと、つい「チップがタダでもらえる」かのように思ってしまう。これは、はっきり間違いです。技術にくわしい人ほど、ここを取り違えると本気で渋い顔をします。正確に切り分けましょう。
・言葉(ISA)は、誰でも無償・自由に使える。これが「オープン」の意味。
・けれど、その言葉でしゃべる実物のチップは、ふつうの商品(有償)です。タダではありません。
・チップの設計図も、無償公開のものもあれば、企業が握る非公開(有償)のものもあります。
つまりRISC-Vが開放したのは、「みんなが使う共通語のルールブック」であって、「製品」でも「全部の設計図」でもありません。たとえるなら、日本語そのものは誰のものでもなく無料で使えるけれど、日本語で書かれた本は商品としてお金を取って売られるのと同じ。言葉が開かれていることと、その言葉で作ったものがタダであることは、まったくの別問題なのです。
※なぜ、この区別にこだわるのか。 ここを曖昧にすると、「オープン=なんでもタダ」という幻想が広がり、実際にチップを作る人たちの仕事(有償の設計や製造)を、軽く見てしまうからです。開かれているのは“土台のルール”。その上でものを作る営みには、ちゃんと価値とお金がかかる。 この健全な線引きこそ、RISC-Vの世界を支えています。
5.5 みんなのものにする ― スイスへ、そして世界へ
ひと夏の研究から生まれたRISC-Vは、想像を超えて広まりました。そこで2010年代半ば、大事な決断がなされます。2015年、この言葉の管理を、特定の国や企業から切り離し、中立的な非営利団体「RISC-V International」へ移しました。本拠地は、永世中立で知られるスイス。
なぜ、わざわざ中立国へ? それは、この言葉を「どこか一国・一企業のもの」にしないためです。国どうしの対立や規制に、共通語が振り回されないように。世界中の誰もが安心して寄りかかれる“公共の言葉”にするための、象徴的な引っ越しでした。同じ年、生みの親たちは会社(SiFive)も立ち上げ、「無償の言葉」と「それで稼ぐ商売」が両立する道も示しました――まさに5.4の線引きの、お手本です。
5.6 おまけ:「RV32I」という暗号の読み方
RISC-Vの世界に触れると、「RV32I」「RV64GC」といった暗号めいた表記に出くわします。身構えなくて大丈夫。これは「このチップは、どの言葉を、どこまで話せるか」を示す、いわば名札です。読み方はとても素直です。
RISC-Vの名札の読み方(むずかしくありません)
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R V 32 I +(拡張)
│ │ │ └ できる“追加技”の文字。例:M=かけ算割り算 / C=圧縮 / V=ベクトル …
│ │ └ 基本の語長。32(小型向け)か 64(高性能向け)
│ └ 「RISC-V です」という印
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例)RV32I = 32ビットの、いちばん基本だけ(小さなマイコン向け)
RV64GC = 64ビットで、よく使う技を“全部入り”(パソコン級向け)
→ 「基本の土台に、必要な技だけを選んで足す」=モジュール式。これがRISC-Vの身軽さ。
名札の意味が分かると、ニュースで見かける石たちの“素性”が読めるようになります。たとえば、シリーズの講座で登場する格安マイコン「CH32V003」はRV32E系(とびきり小型の素性)、パソコン級のチップはRV64系、という具合に。同じRISC-Vという言葉が、用途に応じて姿を変えているのが見えてきます。
5.7 こうしてRISC-Vは「第3の柱」になった
ひと夏の研究プロジェクトが、いまやx86・ARMと並ぶ「第3の柱」と呼ばれるまでになりました。誰のものでもない自由な言葉が、世界中の作り手に「自分のチップを作っていいんだ」という許可証を配って回った――これが、序章で言った「設計できる人の爆発」の正体です。共通語の通行料がゼロになったことで、新しい挑戦者が、世界のあちこちから這い上がれるようになったのです。
言葉は、開かれました。けれど、いい設計図ができても、それを「実物のチップ」にできなければ、夢で終わります。そして、その「つくる」ところでも、いま大きな地殻変動が起きています。次の第6章では、いったん設計の話を離れ、チップの“体”そのものの話へ。トランジスタが平面から立体へ姿を変え、「2ナノ」という数字がもう昔の意味を失っている――その種明かしをします。