第4章 その言葉には持ち主がいた ― x86とARMの帝国
前章で、ISA(命令セット)は「ハードとソフトをかみ合わせる、見えない共通の言葉であり契約」だと分かりました。では、その共通の言葉は、誰のものなのか。じつは長いあいだ、それは特定の企業が握る“持ち物”でした。この章では、世界を二分してきた二つの帝国の話をします。少し力(パワー)と、お金の話になります。
4.1 世界を二分する、二つの“言葉”
これまで世界の大半のチップは、ざっくり二つのISA(共通語)のどちらかを話してきました。
x86(エックスはちろく)の帝国
主にパソコンと、データセンターのサーバーを支配してきた言葉。インテルとAMDという、ごく少数の会社だけが話せます。あなたのノートパソコンの多くは、この言葉で動いています。
ARM(アーム)の帝国
スマホをはじめ、世界中の膨大な機器を支配してきた言葉。省電力に強く、あなたのスマホのほぼ確実に、この言葉で動いています。出荷数でいえば、地球上で最も広く使われてきた言葉です。
パソコンを開けばx86、スマホを握ればARM。私たちは知らないうちに、この二つの帝国のどちらかの言葉を、毎日使っているのです。
4.2 「言葉」を使うのに、お金がかかる
ここが核心です。これらの共通語は、“持ち主”がいる以上、使うのにコストや許諾がともないます。やり方は帝国によって違います。
x86は、いわば「話せるのは身内だけ」の言葉です。事実上、インテルとAMDしか作れません。新しい会社が「私もx86のチップを作りたい」と思っても、原則その輪には入れない。非常に閉じた世界です。
一方ARMは、もう少し開かれていて、「使用料を払えば、設計図を貸しますよ」という商売です。多くの会社がARMにライセンス料を払い、その共通語(や設計)を使わせてもらって、自社のチップを作ってきました。x86よりは門戸が広い。けれど、“言葉の大元”を握っているのはARM社であり、関所でお金を払う構図は変わりません。
たとえるなら、“通行料のかかる橋”。 川の向こうへ渡るには、その橋を通るしかない。橋の持ち主は、渡る人から通行料を取れます。橋が便利で、誰もがそこを通る限り、持ち主のもとには絶え間なくお金が入る。ISAという“言葉”を持つことは、みんなが必ず通る橋を、持っているようなものなのです。
4.3 中間に立つ者が、価値を握る
少し視野を広げます。世の中には、「みんなが必ず通る場所」を押さえた者が、大きな取り分を得る、という構図がよくあります。市場の入口、決済の仕組み、プラットフォーム……。表で汗をかく作り手や使い手のあいだ(中間)に立ち、通行料を取る立場は、強い。ISAも、まさにその一つでした。
チップを設計する人も、ソフトを書く人も、その上でサービスする人も、みんな同じ“言葉”の上に乗らざるをえない。その言葉を握る者は、自分では最終製品を作らなくても、エコシステム全体から少しずつ価値を吸い上げられる。これは技術の良し悪しとは別の、“構造”の力です。そして構造の力は、しばしば技術より長持ちします。
4.4 なぜ、無名の小さな会社が牛耳れたのか ― ARMの物語
ここで、第4章いちばん面白い実話を。世界で最も広く使われる言葉ARMは、最初から巨人だったわけではありません。イギリス・ケンブリッジの小さな会社の、ごく少人数のエンジニアが、巨大企業に挑んで生み出したのが始まりです。1990年前後にAppleらとの合弁として独立したとき、エンジニアはわずか十数人。吹けば飛ぶような存在でした。では、なぜ世界を牛耳れたのか。勝負を決めたのは、技術より“構造”の選択でした。
- たまたま「省電力」だった。 命令を絞ったシンプルな設計の副産物として、消費電力が低かった。当時は地味な長所が、のちに携帯電話の時代で決定的な武器に変わります。
- 「チップを作らない」と決めた。 自社製品で稼ぐのをやめ、設計(言葉)を多くのメーカーに貸し、出荷ごとに少額の使用料を得る道へ。=自分は橋を作って通行料を取る側に回った(4.2)。
- 競合に「使わせて」味方にした。 各社にとってCPU設計は差別化要因でないことが多い。借りれば自前開発より安く、空いた力を得意分野に回せる。採用が増えるほど、共通であることの利点(ツール・ソフトの充実)が雪だるま式に増えた。
- 中立だから、誰もが乗れた。 特定の半導体企業に属さない立場。ARMはしばしば半導体業界の「スイス」と呼ばれます(第5章のRISC-Vがスイスへ移った話と、見事に響きます)。
- 携帯電話で大当たり。 省電力が効く携帯で標準の座をつかみ、雪だるまが決定的になりました。
※「作らない者が、いちばん行き渡る」。 いまや年に約350億個ものARMチップが出荷され、その中にはiPhoneも含まれます。なのにARM自身は、チップを1つも出荷していません。受け取るのはチップ価値の1%から2%程度の使用料――薄いけれど、全員が必ず通る橋だから、塵が積もって山になる。4.3「中間に立つ者が価値を握る」の、これが極致です。
4.5 なぜ、この帝国はなかなか崩れないのか
「閉じている/通行料がかかる」なら、誰かがもっと自由な言葉を作ればいいのに――そう思いますよね。ところが、これがなかなか崩れません。理由は第3章で見た“引っ越しの大変さ”です。
x86やARMの上には、何十年ぶんものソフトの蓄積が積み上がっています。OSも、アプリも、業務システムも。新しい言葉に乗り換えるには、その膨大な資産を作り直さねばならない。しかも、ソフトが揃っていない新しい言葉のチップは、最初は誰も欲しがらない。すると「チップがないからソフトが来ない/ソフトがないからチップが売れない」という、にわとりと卵の膠着が生まれます。この強固な“囲い込み”が、二つの帝国を長く守ってきました。
4.6 Appleの例 ― 自前で有名なのに、言葉はARM(しかも乗り換えてきた)
「iPhoneやMacのチップは独自では?」とよく聞かれます。これは半分正しく、半分は違います。Appleが自前で作っているのは“チップの中身(設計)”のほうで、話している言葉(ISA)はARMです。ARMの言葉を借りたうえで、その言葉でしゃべる“体”を一から作り込んでいる――だから「速いのに省電力」を実現できる。自前で名高いAppleですら、言葉そのものはARM帝国の住人なのです(4.4の「貸す者が強い」を、裏から証明しています)。
さらに面白いのは、Macが歴史上“中身の言葉”を何度も乗り換えてきたこと。第3章で「ISAの引っ越しは大変」と書きましたが、Appleはそれを実際に、しかも複数回やってのけました。
Macの“中身の言葉(ISA)”は、4回替わった ────────────────────────────────────────────── 1984年 モトローラ 68000系(68k) 1994年 PowerPC(Apple・IBM・モトローラ連合) 2006年 Intel(x86) ← 「Intelの時代」はここ 2020年 Appleシリコン(ARM系) ← いま、ここ ────────────────────────────────────────────── 乗り換えのたびに、古い言葉のソフトを新しい言葉で動かす 「橋渡し(翻訳)」の仕組みを用意した(例:Rosetta)。
ここから分かることは2つ。ひとつ、ISAは永遠ではなく、時代で覇者が入れ替わる――かつてMacでも、いまをときめくIntel(x86)は一時代の住人にすぎませんでした。ふたつ、乗り換えは可能だが、橋渡しという大仕掛けが要る。これは第3章「引っ越しの大変さ」の、生きた証拠です。
4.7 そこに、ひとつの問いが生まれた
さて、ここまでで舞台は整いました。共通の言葉には持ち主がいて、通行料がかかり、囲い込みでなかなか崩れない――。これが、ついこの間までの“当たり前”でした。
けれど、誰かが、こんな大胆な問いを立てたのです。
もし――
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その「共通の言葉」が、
誰の持ち物でもなく、
通行料もいらず、
世界中の誰もが自由に使えるものだったら?
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橋の通行料が、ゼロになったら。世界は、どう変わるだろう?
突拍子もない理想論に聞こえるかもしれません。けれど、この問いは絵空事では終わりませんでした。大学の研究室から、本当にそういう“言葉”が生まれてしまったのです。次の第5章で、いよいよこのコーナーの主役――RISC-V(リスク・ファイブ)の物語に入ります。ただし、ここで一つだけ、先に釘を刺しておくべき大事な注意があります。「無料」と「オープン」は、同じではない、という話です。