IoTは、まだ本気を出していない
数字は伸びているのに、現場は変わらない。何が足りないのかを見に行きます
IoT(モノのインターネット)という言葉が広まって、もう15年以上になります。「あらゆるモノがネットにつながる」という絵は何度も語られてきましたし、市場の統計を見るかぎり、その規模はたしかに伸び続けています。ところが、現場に近いところで聞こえてくる実感は、それとはだいぶ違います。センサーを付けてデータを取るところまでは行くのに、そこから先が進まない。今日は、その「そこから先」で何が起きているのかを見に行きます。
今日の散歩コース
- 出発点 数字の上では順調に見える、いまのIoT
- 最初の角 10年前の威勢のいい予測は、どこまで当たったのか
- いちばん見たい場所 「実験で終わって本番に進まない」のはなぜか。三つの層に分けて確かめる
- 回り道 通信はなぜ、いまも職人技なのか。規格の乱立と、電源の話
- いちばん高い場所 「ずっとつながっていなければならない」という思い込みを外すと、景色が変わる
- 終点 自分の手で通信モジュールを作ってみる入口
この散歩で言いたいこと IoTが期待ほど広がらないのは、通信が難しいからだけではありません。集めたデータを判断に変える人と、お金が回る設計が足りていません。でも「試して確かめる」コストは、この10年で百分の一になりました。だから小さく作って確かめてみよう、というのが今日の結論です。
1 出発点 ― 数字の上では、順調です
まず、数字を見ておきます。ある調査会社の見積もりでは、世界のIoT市場は2024年に約7,000億ドル、2032年には4兆ドルを超えるとされています。年に24パーセントほど伸びる計算です。動いているIoT機器の台数は、調査機関によって幅があり、2025年でおよそ190億台とする控えめな推計から、270億台に迫るとする推計まであります。いずれにせよ、2030年には400億台前後、2035年には500億台を超えるという見通しが、複数の調査で示されています。
数字だけを追えば、IoTは着々と社会に広がっているように見えます。でも、現場の人が話す実感は違います。
2 最初の角 ― 10年前の予測は当たったのか
数字の伸びを疑う前に、いちど過去を振り返っておきます。IoTという言葉が広まり始めた2010年代の前半、業界はいまよりずっと威勢のいい数字を掲げていました。有名なのが、2011年ごろにシスコが出した「2020年までに500億台のIoT機器が動く」という予測です。
結果はどうだったでしょうか。2016年の時点で、ガートナーは64億台(スマホなどを除く)、IDCは90億台、IHSはあらゆる機器を含めて176億台と、調査会社ごとに数字が大きくばらついていました。予測を出した側も修正を迫られ、元シスコの担当者は自分の予測を30億台まで引き下げ、エリクソンは2021年で28億台という、当初の500億台とは桁の違う数字を出すに至っています。外れた理由として言われているのは、そもそも「IoT機器」の定義が会社ごとにばらばらだったこと、自動車のように「何割が実際にネットにつながるか」の見積もりが甘かったこと、まだ存在しない製品の需要を当てるのは本質的に難しいこと、そして、業界には景気のいい数字を出したくなる事情が常にあったこと、です。
いっぽうで、当時から言われていたのに、いまも解決していないことがあります。2016年に総務省と経済産業省が出した「IoTセキュリティガイドライン」は、セキュリティと相互運用性(メーカーが違っても互いにつながること)を最重要課題として名指ししていました。10年経ったいま、後で見るスマートホーム規格の現状が示すとおり、相互運用性の問題は根本的には解決していません。
つまり、この10年で起きたことを整理すると、「派手な予測は大きく外れたが、地味な課題は驚くほど動いていない」ということになります。台数や市場規模は、部品が安くなるにつれて、当初の予測ほどではないにせよ着実に伸びました。しかし、メーカーや規格をまたいでつなぐこと、集めたデータを実際の判断に結びつけること、という地味で本質的な課題は、10年前から名指しされたまま、先送りされてきました。次に見る「実験で終わる」問題は、この延長線上にあります。
3 いちばん見たい場所 ― なぜ、実験で終わって本番に進まないのか
ここが今日の散歩でいちばん見たかった場所です。
IoTを導入しようとした企業のプロジェクトのうち、6〜8割が最終的にうまくいかない、という調査があります。とくに象徴的なのは、実証実験の段階から本番運用に進めないプロジェクトが7割を超える、という数字です。業界ではこの現象を「パイロットの墓場」と呼んでいます。センサーを設置して、データを取るところまでは行くのに、それを毎日の業務として本格的に運用する段階で止まってしまう。そういうケースが大半を占めています。
さらに、集めたデータのうち、実際に何かの判断に使われているのは半分に満たない、という指摘もあります。つまり、IoTの本来の価値である「集めたデータをもとに判断し、行動を変える」という流れが、多くの現場で途中で止まっています。
この止まり方を、通信や技術の問題として説明する記事は多いです。でも、業界の分析を読んでいくと、実態は少し違う場所にあるように見えます。「パイロットの墓場」の主な原因として名指しされているのは、「経営層の後ろ盾がないこと」です。技術が動くかどうかではなく、集めたデータをもとに仕事のやり方を実際に変える、その権限と責任を誰が引き受けるか、という問題です。加えて、企業の半数近くが、セキュリティやデータ分析や通信の技術者を社内に持っていない、という調査もあります。データを集めることと、そのデータを判断に翻訳できる人が組織にいることは、まったく別の話なのです。
もう一つ。実際に成果を出している少数のプロジェクトを調べた調査では、成功したチームに共通する一番の要因として「最初から、何をもって儲かったとするかを決めていたか」が挙げられています。技術を先に作ってから儲かるかどうかを考えるのではなく、儲かる設計図を先に描いてから技術に手を付けている、ということです。
まとめると、「パイロットの墓場」は一枚の壁ではなく、三つの層が積み重なったものです。多くの解説は一番下の技術の層でつまずいていると言いがちですが、実際に多くのプロジェクトが止まっているのは、その上の二つの層です。通信規格を揃えれば統合のコストを最大3割減らせる、という試算もあるくらいですから、「つなぐ」作業が大変なのは事実です。でもそれは、三つのうちの一つです。
4 回り道 ― 通信は、なぜいまも職人技なのか
ここからは、三つの層のうち一番下、技術の層を少し歩きます。上の二つの層には、第5節でまた戻ってきます。
IoTの世界でよく言われる「三種の神器」は、安いマイコン、安いセンサー、そしてクラウド上のデータ処理基盤です。この三つは、この十数年で驚くほど安く、当たり前になりました。マイコンは数十円で買えますし、センサーも量産で安くなり、クラウド側の分析の仕組みも成熟しています。
ところが、これらをつなぐ「通信」の部分だけは、同じようには当たり前になっていません。理由は三つあります。
一つ目は、通信規格の選択肢が多すぎることです。IoTを導入するときに検討すべき通信方式は30種類以上あると言われています。Wi-Fi、Bluetooth、Zigbee、LoRaWAN、NB-IoT、LTE-M、Sigfox……それぞれに、届く距離、電池の持ち、速さ、値段の得意不得意があって、「現場の条件に合わせて設計者が判断する」ことが、いまも求められ続けています。この記事ではこれを「職人技」と呼びますが、格好をつけて言っているのではありません。周波数、距離、電池、法規制といった現場ごとの条件に合わせて、設計者がそのつど個別に判断を積み重ねなければならない、という性質のことです。
二つ目は、広い範囲に届くことと、安いことの両立が難しいことです。少ない電力で遠くまで届く通信方式(LPWAと呼びます)は、電池の持ちと到達距離と安さを同時に満たす技術として期待されてきましたが、実際に使える地域は世界人口の一部にとどまる、という分析もあります。いっぽう、携帯電話の回線を使う方式は、どこでも届くかわりに、通信部品が一個あたり数ドル以上と高く、電気も食います。「広く届くが高くて電池を食う」か「安くて省電力だが届く範囲が限られる」か。この二択の構造は、いまも大きくは変わっていません。
三つ目は、街ぐるみのような大規模な導入で出てくる、通信会社の分断です。スマートメーターや交通システムは10〜15年という長い期間使うので、特定の通信会社に頼りきることは長期的なリスクになります。かといって複数の会社と契約すれば、それぞれ別々の手続き、別々の請求、別々の窓口を抱えることになって、運用側の負担が跳ね上がります。
4.1 規格を統一すれば解決するのか ― スマートホームの現状
通信がばらばらだという課題に対して、業界が出した答えの一つが、スマートホーム分野の統一規格「Matter(マター)」と、その下で動く「Thread(スレッド)」です。2022年の正式リリースから数年経った2026年の実態を見ると、進んだところと、進まなかったところの両方が見えてきます。
照明のオン・オフや明るさの調整、基本的なスマートロックといった基本機能については、メーカーが違っても確実につながるようになった、と評価されています。これはたしかな前進です。
いっぽうで、根深い課題も残っています。規格のバージョン対応がメーカーごとにばらついていて、あるメーカーは最新版に対応しているのに、別のメーカーは古い版のまま、あるいは一部だけ対応、という状況が報告されています。多くのメーカーが「最低限」の対応で済ませていて、色温度の調整のような付加機能は取り残されがちです。ある業界解説は、2026年のMatterの実態を「動いていないわけではないが、不完全にしか実装されていない」とまとめています。
規格を統一するという発想そのものは正しいのです。でも、規格があることと、それが現場で一貫して実装されることのあいだには、いまも大きな溝があります。これは技術の問題であると同時に、各社のやる気と検証体制の問題でもあって、一つの解決策では埋まらない種類の溝です。
4.2 もう一つの制約 ― 電源
通信と並んで見落とされがちなのが、電源です。街のインフラを見張る用途では、センサーを置きたい「意味のある場所」に、必ずしも電源や通信があるとは限りません。その結果、太陽光パネルと電池による独立電源を個別に用意することになって、導入コストと保守の手間を押し上げます。加えて、街灯は電力会社のもの、信号機は自治体のもの、というように、設置場所ごとに管理する主体が違うことも多く、許可を取る手間がプロジェクトをさらに遅らせます。
つまりIoTの現場が向き合っているのは、一つのボトルネックではなく、「通信規格の乱立」「距離と値段の二律背反」「規格の不完全な実装」「電源と設置場所の制約」が絡み合った、複合的な課題です。
5 いちばん高い場所 ― 静かに変わったことと、疑ってみたい思い込み
ここが今日の散歩でいちばん見晴らしのいい場所です。上の二つの層に戻って、静かに変わりつつあることを二つ、そして疑ってみたい思い込みを一つ、見ておきます。
5.1 変わったこと ― AIが「翻訳」を手伝い始めた
一つ目は、人と組織の層で、生成AIやエージェントAIが仕事に入り始めたことです。2026年のハノーバーメッセ(ドイツの産業見本市)で確認された産業向けのAIエージェント製品29件のうち、7割強はすでに実証実験を抜けて商用化されていた、という集計があります。用途の中心は、機械の保守や不具合の診断、安全上の異常の自動検知といった、まさに「集めたデータをもとに判断し、行動につなげる」領域です。これまで希少な専門人材にしかできなかった「翻訳」の作業を、AIが肩代わりし始めています。
ただし、ここは切り分けが要ります。AIが代われるのは、データを読んで次に何をすべきか判断する、という分析と翻訳の作業です。その判断にもとづいて組織を実際に動かす、という権限と責任の仕事は代われません。前者は人手不足の問題で、AIで補えます。後者は経営層の後ろ盾という、いまも人間にしか担えない層のままです。AIは「翻訳」を軽くしますが、「誰が責任を持つか」という問題は消えません。
5.2 変わったこと ― 失敗が、安くなった
二つ目は、お金の層で、試作のコストが劇的に下がったことです。2000年代の前半、試作用の基板は1〜2枚で数万円が相場でした。2009年に登場した米国のOSH Parkというサービスは3枚で1,200円ほどを実現し、2010年代半ば以降は中国のJLCPCBなどの普及で、5枚320円・納期数日という水準まで下がっています。百倍以上のコスト低下です。設計ツールも、KiCadのような無料のものが、設計から発注まで一つにつながりました。
ここにも切り分けが要ります。安くなったのは「試して確かめる」コストであって、「量産して儲かることを証明する」コストではありません。試作基板が320円になっても、量産したときの通信費や保守費や人件費まで含めて採算が合うかどうかは、また別の勝負です。それでも、この変化の意味は大きいのです。以前なら数十万円を賭けて一発勝負するしかなかった検証が、いまは数千円で何度でも試せます。儲かる保証はどこにもありませんが、確かめる代償がここまで下がったのなら、確かめない理由がありません。小さく試して勝算を見極められること自体が、大きな損を避ける一番の近道になりました。
5.3 疑ってみたい思い込み ― 「ずっとつながっていなければならない」のか
そして、この散歩でいちばん言いたいことです。多くのIoTの設計が、暗黙のうちに置いている前提があります。「常にネットにつながっていなければならない」という前提です。誰かが公式に宣言したわけではありません。でも実際の設計には染み込んでいます。携帯回線のIoT向け料金は常時接続を前提に作られていますし、監視画面はリアルタイム更新を当然の仕様として作られます。
ところが、街のインフラを見張るデータの多くは、そのリアルタイム性を必要としていません。数時間、あるいは数日に一度、情報が更新されれば十分な用途はたくさんあります。この前提を外すと、固定の基地局を置くかわりに、すでに街を巡回している乗り物(ごみ収集車、バス、配送車)がすれ違いざまにデータを回収する、という設計が現実の選択肢として浮かび上がります。「遅延許容ネットワーク(DTN)」と呼ばれる考え方です。常時接続を前提にした設計から、すれ違いを前提にした設計へ。発想を変えることで、固定インフラのコストという構造的な制約そのものを避けられる可能性があります。
もう一つ、電池を持たないセンサーが、周囲の電波を反射することで通信する「バックスキャッタ通信」という研究も進んでいます。センサー自身が電波を出さないので、電池交換という運用上の重荷から解放されます。どちらも「ずっとつながっていなければならない」「センサーは自分で電波を出さなければならない」という思い込みを外したところに生まれた発想です。
6 終点 ― 語るだけでなく、作ってみる
ここまでを振り返ります。IoTが足踏みしている理由を「通信が未熟だから」だけに帰するのは正確ではありません。通信がいまも職人技だという見立て自体は間違っていませんが、「パイロットの墓場」の本当の主因をたどると、その手前に、集めたデータを誰が判断に翻訳するかという人と組織の層と、そもそもお金が回る設計になっているかというお金の層が横たわっています。技術が動くことは、必要条件であって十分条件ではありません。
では、どうするか。この問題は、抽象的な議論を重ねても解決しません。技術の層について言えば、実際にどの周波数を選び、どのチップを使い、どれだけの電力でどこまで届き、どんな法規制の中で運用できるのか。これは、現物の回路とアンテナを設計して、実際に電波を飛ばしてみて初めて、実感を伴って分かる領域です。そしてお金の層について言えば、試作のコストがここまで下がったいま、儲かる保証はなくても、小さく試す価値のあることが増えています。
なぜ、わざわざ自分の手で作ることに意味があるのか。理由は、記事を読むだけでは決して手に入らない体感にあります。計算で出した電波の減衰が、実際に隣の部屋に持っていったときの受信強度の落ち方として身体に入ってくること。データシートの上では完璧に見えた部品が、実際の基板の広さや入手性の中では妥協の連続になると分かること。基板が動かないとき、原因がアンテナなのか電源のノイズなのか設定なのかプログラムなのかを、自分の手で切り分けていく力がつくこと。微弱無線の基準を「知っている」段階から、自分の設計の出力を実測して「このままでは超える」と判断できる段階に進むこと。そして何より、教科書に載っていない問題を、自分で見つけて自分で定義する経験ができること。
これは、儲かるかどうかを保証する処方箋ではありません。むしろ、第3節で「足りない」と言った、集めたデータを判断に翻訳できる人に、自分自身がなっていくための、一番身近で確実な道です。別次元の理解は、作ってみることでしか手に入りません。そして、それを試すコストは、かつてないほど下がっています。
散歩の終点 自分の手で確かめる入口
- いま歩ける道 基礎01 KiCad入門で、回路図から基板の発注・組み立てまでを一周しておく。通信モジュールの基板設計は、この延長線上にあります
- 準備中の道 Si4463やCC1101といった市販の送受信ICを使った、サブGHz帯(380〜440MHz)の通信モジュール講座。周波数の選び方、微弱無線の法規制の実務、KiCadでの設計、実機での通信確認まで、全10回で一周します(講座として準備中)
- その先の道 バックスキャッタ通信と遅延許容ネットワーク(DTN)。上の講座の最終回で展望として扱う予定です
付記:この散歩の限界
- 見ていないもの。 セキュリティは10年来の課題として名指しにとどめ、本稿では掘り下げていません。家庭向けIoTはMatter/Threadの範囲に限りました
- 数字の条件。 IoT機器の定義が調査機関ごとに違うため、台数と市場規模は幅のある値のまま示しています。「パイロットの墓場」の失敗率も、調査の対象と定義によって値が動きます
- 時点。 2026年9月の景色です。Matterの対応状況やAIエージェントの商用化の進み具合は、数か月で変わりうる領域です