第8章:いま、世界はどう作っているか(トピックス)
ここは終章です。あなたがこのコースで通った道――結線をコードで書き、配線を機械に任せ、要所を人が仕上げる――は、いま世界のあちこちで、いろいろな形で試みられている流れの一つです。この章では、その周辺で「いま、こういう動きがあり、こういう人たちがこう考えている」という景色を眺めます。ここで扱うのは、使いこなすための手引きではなく、いまどこにどんな動きがあるかを知るための紹介です。挙げる道具や状況は移り変わりが速いので、興味を持ったものは、必ず最新の公式で確かめてください。
8.1 「コードで回路を書く」は、いろいろな形で出てきている
このコースで使った skidl は、「結線をコードで書く」道具の一つでした。同じ「コードで回路を書く」でも、何を面倒と見て、どこを機械に任せたいかで、道具の形はずいぶん違います。代表的なものを3つ並べます。
| 道具 | 書き方 | 特徴・ねらい |
|---|---|---|
| skidl(本コース) | Python | 結線をコードで書き、ネットリストを出す。配置・配線は既存のKiCadに素直に渡す。「今のKiCadの流れに、コードで結線を足す」立ち位置 |
| atopile | .ato(Python風のDSL)+コンパイラ | 回路を宣言的に書き、KiCadと直接つながって基板データやBOMを生成。「この電圧・この誤差」と条件を書くと、合う部品を自動で選ぶ(制約を解く)のが特徴。会社が開発しつつ、コードは公開 |
| tscircuit | React/TypeScript | Web開発の道具立てで回路を書く。保存するたびに、回路図・PCB・3Dがブラウザで再生成され、部品選定・自動配線・BOMまで一気通貫。Webで完結 |
面白いのは、三者が「別々の畑」から来ていることです。skidlはPythonの素直な延長、atopileは「条件を書けば部品が決まる」という設計の自動化、tscircuitはWeb開発(React)の文化をそのまま持ち込む。どれが正解ということではなく、それぞれが違う人たちの「ここを楽にしたい」という着眼から生まれています。あなたはこのコースで、その入口の一つ(skidl)を、実際に手を動かして通りました。一度通しておけば、他の道具を見ても「これは結線をこう書く流儀か」と、見当がつきます。
atopileで面白いのは、「抵抗値をいくつにするか」を人が決め打ちする代わりに、「出力は3.3V、誤差5%以内」といった“条件”を書くと、それを満たす部品や値を機械が選ぶという考え方です。第1章で、AMS1117のドロップアウトから「5V入力なら大丈夫、3.7Vなら別のLDO」と要件から逆算したのを思い出してください。あの「要件から逆算」を、機械にやらせようという方向です。便利そうですが、何を機械に任せ、何を人が決めるかの線引きは、ここでもついて回ります。
8.2 自動配線と、その「続くのか」という問題
このコースで配線を任せた FreeRouting も、動きがあります。近ごろは、他のソフトからネット越しに呼び出せるAPIや、AIの道具から直接つないで使う仕組み(後述)も用意され、KiCadだけでなくいろいろなEDAツールとつながるようになってきました。「配線を任せる」入口が、広がってきているわけです。
いっぽうで、正直な話もしておきます。FreeRoutingは長く、ごく少人数(実質ひとり)で支えられてきた道具で、開発を主導してきた人が一歩引く、という表明も出ています。便利な道具ほど「これは続くのか、誰が支えるのか」という問いがついて回ります。これは善し悪しの話ではなく、個人や小さな集まりが支えるオープンソースに共通する現実です。使う側としては、「その道具が止まっても、標準の形式(今回でいえばSpecctraの .dsn/.ses)でやり取りしているから、いざとなれば別の道具に替えられる」――という逃げ道を持っておくのが、地に足のついた付き合い方です。
8.3 そこに、AIが入ってくる
もう一つの大きな動きが、AIとの接続です。ここでも、このコースの背骨が効いてきます。結線をコード(文字)で持っているからこそ、機械――AI――もそれを読み書きできるのです。実際、skidlをAIの道具から操るための仕組みや、AIエージェントに回路を組ませる実験、tscircuitのAI支援、FreeRoutingをAIアシスタント(Claudeなどのコーディング支援)から直接呼び出す連携などが、次々に出てきています。
ただし、いまのところ、ボタン一つで完璧な基板が出てくるわけではありません。AIに回路を組ませる実験でも、「電源はつないだが、必要なコンデンサを置き忘れる」といった抜けは起きます。むしろ現実的なのは、「作りたいボードや使う部品を人が決め、繰り返しや転記といった手間をAIと自動化で減らす」という、完全自動ではない“支援”の道具です。API経由でAIとつなぎ、使いやすい画面から「こういうボードを」「この部品で」と指定していくと、完璧ではなくても、かなりの部分を自動で進められる――そういう支援アプリの形は、これから増えていくと考えられます。そしてここでも、序章で言ったことが効きます。AIが賢くなるほど、その下で何が起きているかを知っている人が、うまく使いこなせる。あなたがこのコースで一度手を動かして通したのは、そのためでもあります。
8.4 「コードにすると失うもの」という声も、ちゃんとある
片方の景色だけを見せるのは公平ではありません。「回路をコードで書く」流れには、まだ決着していない論点があります。いちばんよく聞くのが、「回路図(絵)のほうが、見つけやすいミスもある」という指摘です。全体を絵で見渡せば一目でおかしいと気づくのに、コードだと埋もれてしまう――という声は、経験のある設計者から根強く上がります。
第2章で、私たちも同じことに触れました。コードは繰り返しや差分の管理に強い一方、「ぱっと見て全体像がわかる」という絵の良さは手放す、と。だからこそ、多くの道具が「コードから回路図(絵)も起こせるようにして、両方の良さを取る」方向を目指しています(第2章で見た“確かめる図”“見せる図”は、その一例でした)。コードが絵を置き換えて終わり、ではなく、コードと絵をどう組み合わせるか――そこが、いま各所で試されている最中です。決着はついていません。「どちらが正しいか」ではなく「どう組み合わせるか」を、揺れているまま眺めておくのが、今の正直な立ち位置です。
8.5 出版の現場から見た、この変化
最後に、少し個人的な見立てを書きます。私はもともと出版の世界に長くいました。その現場は、DTP(机の上で組版する道具)が登場して、やり方がすっかり変わりました。かつて印刷は、大きな輪転機と高価な機材を持つところのものでした。それが、オンデマンド印刷が現れ、プリンタが安くなるにつれて、「刷る」ことのハードルが下がり、小さな編集プロダクションがたくさん生まれました。装置を持つことが、すべての前提ではなくなっていったのです。
いま、AIとオープンソースの道具が半導体や基板の世界に入ってくる様子は、あのときの変化に、どこか似て見えます。大きな設備を持つところのものだった作り方の一部が、机の上に降りてくる。オンデマンド印刷機を半導体にたとえるなら、型(マスク)を使わずに刷るような製造機にあたるでしょうか。そう考えると、装置を持つことが絶対の前提だった世界も、少しずつ形を変えていくのかもしれません。
もっとも、これはあくまで一つの見立て(たとえ話)です。似ているところもあれば、違うところもあります。半導体の製造は、印刷とは比べものにならない物理の壁(微細さ、設備の桁違いのコスト)を抱えていて、「机の上で全部できる」ようになるとは限りません。基板(PCB)は個人の手が届くところまで来ましたが、シリコンそのものはまだ道の途中です。たとえ話は、景色を掴むには役立つが、そのまま将来を約束するものではない――そう断ったうえで、それでも「現場のやり方が変わる瞬間」を一度見た者としては、いまの動きに、あのときと同じ匂いを感じています。ここは事実の報告ではなく、一人の観察者の感想として読んでください。
8.6 むすび:あなたが通った道
あなたはこのコースで、結線をコードで書き、機械に配線させ、要所を自分で仕上げて、一枚の基板を現物にするという道を、実際に通りました。それは、この章で眺めた大きな流れの、入口の一つです。新しい道具やAIの助け、次の変化が来ても、一度この道を通しておけば、「これは何を楽にしようとしているのか」「どこは人が決めるべきなのか」を、自分の頭で見当をつけられます。次は、ここで作った一枚の先に、自分の作りたいものを重ねていってください。景色は、これからも動きます。