第5章 MIPS ― RISCの教科書、RISC-Vの祖先
5.1 RISCの二つの源流 ― バークレーとスタンフォード
1980年ごろ、「命令を単純にそろえれば、機械は速く軽くなる」という考え方(RISC)が、ほぼ同じ時期に、二つの大学で芽吹きました。カリフォルニア大学バークレー校のデイヴィッド・パターソン教授らによる「RISC-I/RISC-II」と、スタンフォード大学のジョン・ヘネシー教授らによる MIPS です。どちらも、第4章で見た「単純な命令を、たくさん、速く」を、現実の設計に落とし込んだ先駆けでした。
このお二人は、のちにこの RISC の業績によって、2017年のチューリング賞――計算機科学の最高の栄誉とされ、「計算機分野のノーベル賞」とも呼ばれます――を共同で受賞しています。お二人の名を冠した共著の教科書は、いまも世界中の教室で読み継がれる定番です。私たちがこれから当たり前のように使う RISC という道は、こうした先達が、ていねいに切り開いてくれたものでした。
ここは、あとの話につながる大事な区別です。MIPSはスタンフォード発。そして、のちに登場する RISC-V は、もう一方のバークレー発です。同じRISCの志から、二つの流れが生まれた――と覚えておいてください。
5.2 MIPSは、なぜ“教科書”になったのか
MIPSが特別だったのは、その きれいな単純さ です。命令の種類も形もよくそろっていて、第3章の流れ作業(パイプライン)に、とても素直に乗る。厨房でいえば、注文票の書き方がきっちり統一されていて、5人の手順がなめらかに流れる――そんな“お手本”のような契約でした。
この「教えやすさ・分かりやすさ」が買われ、パターソン教授とヘネシー教授による定番教科書『コンピュータの構成と設計』で、CPUを学ぶときの題材に採用されたとされます。以来、世界中の学生が、CPUの設計を MIPS で学んできました。MIPSは、いわば「RISCの教科書」になったのです。いまあなたが学んでいる「作業台・コンロ・5つの手順」も、その教科書がならした道の上にあります。
5.3 けれど、MIPSにも“関所”があった
ところが、ひとつ壁がありました。MIPSの命令セット(契約)は、特定の企業が権利を持つ proprietary(独占的) なもので、商用に使うにはライセンス(許諾)が要りました。読み物・第4章でいう「関所」です。x86 や ARM と同じく、MIPSの契約を通るにも、関所で通行料を払う必要があった。
ここで、ほかの命令セットにも目を向けておきましょう。パソコンでおなじみの x86 は、第4章で見た CISC の本流で、これもインテルや AMD など、限られた会社だけが手がける関所つきの契約です。いっぽう ARM は、じつは RISC の仲間――1980年代、バークレーの RISC 研究に触発されて、英国のエイコーン社が生み出した流れとされます。いまではスマートフォンや組み込み機器の多くで使われる、大きく成功した RISC ですが、その契約を使うにも ライセンス(許諾)が要る。つまり ARM にも、MIPS と同じ関所があるのです。この対比が、次に見る RISC-V の「関所のなさ」を、いっそう引き立てます。
序章で「契約は共有できる」と言いました。でも、その契約自体に持ち主がいると、だれもが自由には使えません。教科書で学べても、いざ自分のチップに使おうとすると、関所が立ちはだかる――これが、長らくの悩みでした。
5.4 MIPSからRISC-Vへ ― 開かれた共通語
そこに登場したのが RISC-V です。2010年ごろ、RISCのもう一方の源流であるバークレーで、「だれでも自由に使える、関所のない命令セットを」という発想から生まれました。教科書的な素直さはそのままに、契約そのものを無償でオープンに開いたのです。
そして象徴的なことに、2021年、MIPSを手がけた企業自身が、自社の道を MIPS から RISC-V へ切り替えたと報じられています。長く“教科書”とされてきた MIPS を手がけた企業が、みずから RISC-V の側へ移った、という出来事です。
5.5 設計者の視点 ― なぜ私たちは RISC-V を選ぶのか
ここまでの歴史が、そのまま設計判断の理由になります。
MIPSは、その素直さの源流であり、いわば RISC-V の祖先です。私たちがこの基礎編で使ってきた「作業台・コンロ・5つの手順」という見方も、もとをたどれば、この教科書の系譜の上にあります。