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第7章 つくり方の革命 ― ハンコを彫らずに描く

第5章で「設計の言葉(RISC-V)が開かれ、誰でも設計に挑めるようになった」と見ました。でも、いくら良い設計図を描けても、それを実物のチップにできなければ、夢で終わります。じつは、その「つくる」ところにも、いま静かな革命が起きています。設計の扉が開いたことと対になる、製造側の地殻変動。この章の主役は、ちょっと意外な言葉――「ハンコ」です。

7.1 チップは、どうやって「描かれる」のか

チップ作りの中心は、シリコンの板(ウェハ)の上に、ものすごく細かい回路の模様を“焼き付ける”工程です。やり方は、写真の現像に少し似ています。光を当てて、模様を転写する。問題は、「その模様の“元データ”を、どうやってウェハに写すか」です。そして従来のやり方は、ここで「ハンコ」を使ってきました。

7.2 従来のつくり方は「ハンコ(マスク)」から始まる

従来の製造では、まず回路の模様を写した「マスク」と呼ばれる原版を用意します。これは、いわば精密なハンコ(版画の原版)。このマスクごしに光を当てて、ウェハに模様を一気に転写するのです。ハンコ方式の利点は、同じ模様を、大量に・高速に・くりかえし押せること。だから何百万個も同じチップを作る量産には、めっぽう強い。

たとえるなら、年賀状のスタンプ。 一度ハンコを彫ってしまえば、あとはポンポン押すだけで、同じ絵を何百枚でも刷れます。大量に作るなら、これほど効率のいい方法はありません。チップの量産も、まさにこの「ハンコをたくさん押す」発想で回ってきました。

7.3 でも、その「ハンコ」が、関所になる

ところが、このハンコ方式には、小さな挑戦者にとって大きな壁があります。ハンコ(マスク)を彫ること自体が、とても高価で、時間がかかるのです。最先端のマスク一式は、非常に高価で、完成まで数週間待つこともある。しかも、設計を少し直したくなったら、ハンコを彫り直し。また費用と時間がかかります。

これが何を意味するか。「とりあえず1個だけ試しに作ってみる」「ちょっと直してまた試す」が、おそろしく高くつくということです。豊富な資金と量産前提の大企業には耐えられても、個人や少人数の挑戦者には、この“ハンコ代と待ち時間”が重い関所になる。せっかくRISC-Vで設計の扉が開いても、製造のこの関所が、最後に立ちはだかってきたのです。

7.4 ハンコを彫らずに、直接描く ― マスクレス

そこで研究が進んでいるのが、「マスクレス」――文字どおりハンコ(マスク)を使わないつくり方です。発想はシンプル。原版を彫るのをやめて、細い電子のビームで、ウェハに模様を“直接描く”のです。手書きで一枚いちまい描くイメージに近い。

この方式の何が嬉しいか。ハンコを彫る費用も、その完成を待つ時間も、まるごと要らなくなるのです。設計を直したいと思ったら、描くデータを変えるだけ。すぐ次を試せる。さらに、1枚のウェハの上で、1個ずつ違う設計を試すといった、ハンコ方式では考えられない柔軟な実験までできます。実際、こうしたマスクレスの直接描画装置は、すでに一部の工場に導入され始めており(米マルチビーム社の装置を、製造企業スカイウォーター社が2024年に導入、関連企業は2025年に新たな資金調達も)、研究から実用への移行が、少しずつ進んでいます。

※ただし、ハンコ方式を“置き換えた”わけではありません(正直な留保)。 マスクレスは、いまのところ速度の面で量産には不向きで、主に試作・少量・特殊用途で力を発揮する“もうひとつの道”です。最先端の大量生産を、これがすぐ全部担うわけではない。本コーナーでは「マスクが消えた」ではなく、「ハンコという関所を外す“別ルート”が、本気で育ち始めた」と捉えます。大量に刷るならハンコ、少量を素早く試すなら直接描き――用途で使い分ける時代へ向かっている、ということです。

7.5 もうひとつの間口を下げる工夫 ― 「相乗り」で安く作る

製造のハードルを下げる工夫は、もう一つあります。「相乗り(シャトル)」です。1枚のウェハは広い。そこに1社の設計だけでなく、世界中の挑戦者の小さな設計を、何十個も“相乗り”させて、いっぺんに作る。すると、製造費をみんなで割り勘にでき、個人でも手の届く金額で、本物のチップを作ってもらえます。

たとえるなら、貸し切りバスの相乗り。 一人で貸し切れば高いバスも、見知らぬ人どうしで席を分け合えば、運賃はぐっと安くなる。チップ製造の相乗りも同じ発想で、「個人が、数万円からで、自分の設計したチップを焼いてもらう」ことを、現実にしました。設計の側(RISC-V)と、この製造の側(マスクレス+相乗り)が、両輪で回り始めている――これが、いまの“つくり方の革命”の正体です。

7.6 この章のまとめと、次への橋

こうして、設計も、製造も、扉が開きつつあります。では、この地殻変動は、いったいどこへ向かっているのでしょう。次の第8章は、いよいよ最前線の話。AIが、ただ答えるだけの存在から、自ら判断し、ついには現実世界で“身体”を動かす「フィジカルAI」へと進化していく――ロボット、自動車、そして宇宙へ。あなたの手元の小さなチップと、世界の最前線が地続きであることを、見にいきましょう。