English/日本語
← このコーナーの入口へ戻る 第2章:世界の広さ

第2章 頭脳の“種”が爆発した ― CPU・GPU・TPU、量子、バイオ

第1章で、チップとは「スイッチの大群が、1と0を組み替えて計算する小さな板」だと分かりました。ところが――ひとくちに「チップ」と言っても、じつは得意なことの違う“頭脳”が、何種類もあるのです。そして今、その種類が一気に増えています。これこそ、序章で言った「カンブリア爆発」の本丸。この章では、いまある主な“頭脳”を見渡し、さらに原理のまったく違う新種(量子・バイオ)まで足を伸ばします。少し長い章ですが、ここがコーナーいちばんの“広さ”担当です。ゆっくりどうぞ。

2.1 なぜ、頭脳を「使い分ける」のか

まず素朴な疑問から。「万能なチップを1種類、うんと速く作れば、それで済むのでは?」。もっともな話です。実際、長いあいだ世界はそうやってきました。けれど、ある仕事を桁違いの量こなす必要が出てくると、話が変わります。たとえば「同じ単純計算を、何百万回も、いっぺんに」やりたいとき。万能選手に一つずつ順番にやらせるより、その作業“専用”の体に作り替えたほうが、何十倍も速く、しかも省エネになるのです。

料理でたとえましょう。万能なシェフは、煮ても焼いても刻んでも一流です。でも「キャベツの千切りを1万人前」と言われたら、シェフ一人では日が暮れる。そこで千切り専用のスライサーを持ち出せば、あっという間。チップの世界でも同じことが起きています。「何でもこなす万能選手」と「特定の作業に研ぎ澄ました専門職」を、仕事に応じて使い分ける――これが、いまの主流の考え方です。順に紹介します。

2.2 万能選手 ― CPU(シーピーユー)

CPUは「Central Processing Unit(中央処理装置)」の略。パソコンやスマホの司令塔で、いちばん身近な“頭脳”です。特徴は、なんといっても万能なこと。文章を書く、計算する、判断して枝分かれする、機器に指示を出す……ありとあらゆる種類の仕事を、一つずつ、賢く、臨機応変にこなします。

たとえるなら、超優秀な“一人の万能職人”。 どんな注文にも応えられる頼れる人ですが、基本は一度に一つ(実際は数人ぶん)の仕事を順番に片づけます。複雑で込み入った段取りはお手のもの。でも「単純作業を、同時に何千件」というのは、一人では苦手。そこで、次のGPUが出てきます。

2.3 大量並列 ― GPU(ジーピーユー)

GPUは「Graphics Processing Unit」の略。もともとは画面の絵を描くための専門職でした。画面は何百万個もの点(ピクセル)の集まりで、その色を一斉に計算する必要がある。だからGPUは「賢い一人」ではなく、そこそこの計算係を、何千人ぶんも並べて、同じ作業を一斉にやらせる構造になっています。

たとえるなら、“1000人の小学生に、一斉に九九を解かせる”。 一人ひとりは天才ではないけれど、単純な計算をみんなで同時にやれば、超人一人よりずっと速い。じつは、いまのAI(とくに学習)の中身は、巨大なかけ算と足し算の繰り返しです。これはまさにGPUの大得意分野。だからAIブームでGPUが世界中で奪い合いになり、GPUを作る会社が世界有数の規模に駆け上がったのです。「AIブーム=GPUブーム」と言われるのは、これが理由です。

2.4 AI専用に研ぎ澄ます ― TPU・NPU

GPUは「もともと絵を描く道具を、AIに転用した」ものでした。なら、最初からAIだけのために作れば、もっと無駄なく速くできるのでは? ――そう考えて生まれたのが、AI専用の“頭脳”です。代表がTPU(Tensor Processing Unit)とNPU(Neural Processing Unit)。どちらも、AIの中身である大量のかけ算・足し算だけを、極限まで効率よくこなすよう設計されています。

違いはおおまかに「置き場所と規模」です。TPUは、データセンター(巨大なコンピュータ倉庫)に並び、桁外れの量のAI計算をまとめてさばく大型タイプ。一方NPUは、あなたのスマホやノートパソコンの中に小さく載り、ごく低い電力で、手元でAIを動かす省エネタイプです。最近のスマホが、ネットにつながなくても写真の加工や文字起こしをこなせるのは、この小さなNPUのおかげです。

CPU ― 万能の司令塔

何でもこなす一人の達人。複雑な段取り・判断が得意。一つずつ順番に。パソコン/スマホの中心。

GPU ― 大量並列の大部隊

そこそこの計算係を数千人ぶん。同じ作業を一斉に。元は画面描画、いまはAI学習の主役。

TPU ― AI専用の大型機

AIのかけ算だけを極限まで効率化。データセンターで大量にさばく。クラウドのAIを支える。

NPU ― AI専用の省エネ版

同じくAI専用だが、スマホ・PCの中で低電力に。手元でAIを動かす“縁の下”。

※「どれが一番えらい」という話ではありません。 いまのAIは、一つの仕事が、複数の頭脳の上を渡り歩きます。たとえば、巨大なAIをGPUで学習し、それをTPUで大量にサービスし、最後はあなたのスマホのNPUで手元用に動かす――といった具合に。「層ごとに、ふさわしい頭脳が違う」。だから1種類に絞れず、役割の違うチップが共存し、増えていく。これが多様化の正体です。

2.5 なぜ今、こんなに種類が増えるのか

少し背景を。半導体は長らく、「とにかく小さく、たくさん詰めれば、速くなる」という一本道で進化してきました(この“詰め込み競争”の話は第6章で詳しく扱います)。ところが近年、その一本道がだんだん効きにくくなってきた。ただ小さくするだけでは、思うように速く・省エネにならなくなってきたのです。

そこで知恵が働きました。「全体を一律に速くするのが難しいなら、よく使う仕事ごとに“専用の体”を用意して、そこだけ圧倒的に速くしよう」。これが、いまの「専門職チップが増える」流れの根っこです。生命のカンブリア爆発が、さまざまな環境(ニッチ)に合わせて体の形を多様化させたのと、よく似ています。AIという巨大な新しい“環境”が生まれたことで、それに適応した新しい“種”が次々に現れている――そう見ると、いまの賑わいの正体が腑に落ちます。

そして、ここからが本章の後半。これまで紹介したCPU・GPU・TPU・NPUは、形こそ違え、みな同じ「シリコンのスイッチ」の仲間でした。けれど“爆発”は、その枠の外側にまで及び始めています。原理そのものが違う、まったくの新種を、2つ見ておきましょう。

2.6 【新種①】まったく別の原理で計算する ― 量子チップ

ひとつめの新種が、量子コンピュータです。これは、これまでの「スイッチのオン・オフ=1か0か」という大前提そのものを覆します。量子の世界では、ごく小さな粒は「1でもあり0でもある」という中間の状態(重ね合わせ)を取れる。この不思議な性質を使うと、大量の可能性を、いっぺんに探るような計算ができる、とされています。

たとえるなら、巨大な迷路の“全部の道”を同時に試す。 ふつうのコンピュータは、迷路の道を一本ずつしらみつぶしに調べます。量子は、うまくいけば多くの道を重ね合わせて一気に評価できる。だから、薬の分子の振る舞いを調べる、新しい材料を探す、膨大な組み合わせから最適解を見つける――といった特定の難問で、桁違いの力を発揮すると期待されています。

研究は世界中で熱を帯びています。各社がまったく違う方式で競っているのも特徴で、たとえばマイクロソフトは2025年に新方式(トポロジカル量子ビット)の試作チップ「Majorana 1」を発表し、IBMは年々規模を広げる長期ロードマップを公表、別の方式の企業では特定の問題で従来のコンピュータを上回ったとする報告も出始めています。「どの方式が本命か」はまだ決着していません。

※ただし、誤解しないでください。 量子コンピュータは、あなたのパソコンを置き換えるものではありません。得意なのは前述のような“特定の難問”だけで、メールや表計算がいきなり速くなるわけではない。しかもいまの量子チップはエラーが多く、極低温など特殊な環境を要し、扱いが非常に難しい。実用はまだこれから、という段階です。本コーナーでは「すごい万能機が来た」ではなく、「別原理の頭脳という“新種”が、本気で育ち始めた」と捉えます。

2.7 【新種②】生き物を使って計算する ― バイオチップ

もうひとつの新種は、さらに想像の外側にあります。生体(生き物の細胞)そのものを使って計算する、という発想です。シリコンのスイッチではなく、培養した本物の神経細胞に信号を与え、その反応を“計算”として使おう――いわゆる「ウェットウェア(wetware)」。文字どおり、湿った(生きた)コンピュータです。

突飛に聞こえますが、研究は実在します。たとえばスイスのある企業は、十数万個の生きたヒト由来の神経細胞をつないだ計算プラットフォームを公開し、消費電力が従来のデータセンターより桁違いに小さいと主張しています(私たちの脳が、電球ほどの電力で膨大な情報処理をしているのを思えば、納得もいきます)。ほかにも、DNA(生物の設計図の分子)にデータを保存する研究なども進んでいます。

※これは、最も“遠い”新種です。 バイオ系の計算は、エネルギー効率では夢のような可能性を秘める一方、実用化までの道のりは最も長いとされます。生きた細胞の寿命(数ヶ月単位)や安定性、そして「生体を計算に使う」ことの倫理――乗り越えるべき壁は多い。だから本コーナーでも、これは「実用品」ではなく「芽生えたばかりの研究」として、正直にお伝えします。それでも、こういう方向の挑戦が現実に動いていること自体が、いまの“爆発”の振れ幅を物語っています。

2.8 そして、まだ見ぬ新種たち

紹介しきれなかった“頭脳”も、まだあります。光で計算する光チップ(フォトニクス)、記憶と計算を一体化させるインメモリ計算、人間の脳の仕組みをまねたニューロモルフィック……。どれも一長一短で、どれが次の主役に化けてもおかしくない。まさにカンブリアの海です。本コーナーで全部を追うことはしませんが、「シリコンの万能チップ1種類」だった世界が、これほど多彩な“種”であふれ始めた――この事実だけ、持ち帰ってください。

2.9 この章のまとめと、次への橋

こうして“頭脳”の種類は爆発しました。でも、ここで一つ、見落としてはいけない問いが残ります。これだけ多種多様なチップを、私たちは「どうやって動かし、命令しているのか?」。じつは、人間(ソフト)とチップ(ハード)のあいだには、目には見えない“共通の取り決め”が交わされています。それがなければ、どんなに優れたチップも、ただの砂の板。次の第3章では、この「命令セット(ISA)」という見えない契約――いまの地殻変動の、いちばん深いところにある主役――を見にいきます。